群馬の方に出掛けたのですが、現地に着いてから予定が取り止めになってしまい、いきなり時間が空いてしまいました。
そのまま帰るのも勿体無いので、どこか寄っていけるところは無いかな?と思いながらクルマを進めていたら、「富岡製糸場」の看板が目に入ったので良い機会だから見に行くことにしたのです。
世界遺産に登録された直後はかなり混雑していたようだけど、今はどうなんだろう?と思いながら行ってみると、冬場のせいか大した混雑ではなく、無料の駐車場にも難無くクルマを停めることが出来ました。お客さんの数も多すぎず少なすぎずちょうど良いくらい(?)でした。
古い建物も多い落ち着いた感じの街を歩いていくと、
製糸場が見えてきました。
意外なことに街の直ぐ傍にありました。レンガの色がとてもきれい。
入場料は1,000円。自由に見て歩くことも出来ますが、今回は40分くらいのガイドツアーに参加することにしました。参加費用は一人200円と安いです。
これが大正解でした。ガイドさんが製糸場の誕生時の時代背景とかいろいろなエピソードを説明してくれるので物の見え方が違ってきます。
予備知識も無かったので、ガイドが無ければ “明治時代に建てられた古~い建物だなぁ” 程度としか見えず、1,000円の入場料が高く感じたかもしれません。
こちらは正面すぐにある「東置繭所」。二階が繭の保管庫だったそうで、沢山の窓が付いているのは風を通して繭を乾燥させるため。
製糸場の建設時は日本にレンガを作る職人がまだ居なくて、瓦造りの職人が造ったそうです。なのでレンガの形も少々不ぞろいで色も均一でなかったそうです。(ところどころ濃い茶色のレンガがあるのはそういう理由)
そしてレンガとレンガのつなぎのモルタルが無かったので漆喰を使ってレンガを繋げたとのこと。
「東置繭所」の入り口のアーチには「明治五年」の刻印が入った楔石が埋められています。あちこちに歴史の痕跡があります。
製糸場のメインである「操糸所」。
富岡製糸場は昭和の末まで操業していたのでこの操糸機は近代のもの。何と日産自動車で作られたもので、世界最高の操糸機だそうです。
そういえば「トヨタ自動車」も元は「豊田自動織機製作所」。自動車工場と何かつながりがあるのでしょうか。
これは製糸場の診療所。開業初期はフランス人の医師が常駐していたそうです。右側奥の建物は入院用施設。厚生施設も充実しています。
これは製糸場の指導者として招かれたフランス人のブリュナー氏の住宅。ブリュナー氏が契約満了で帰国後、この建物は女工さんの学校として使われていたそうです。
普段は中に入れないのですが、たまたま期間限定で中に入ることが出来ました。
娯楽室まであったようです。
当時は板ガラスの製法技術が低く歪みがあったそうです。
したがって歪みのある窓ガラスは創業当時のものである可能性が大とのことです。(分かり易いのを撮ってみました)
メインホールは資料展示室にもなっていて、とても大きく立派な広間でしたが、残念ながら撮影禁止でした。
こちらはフランスから招いたフランス女性教師の住居で、フランス様式の建物。後に女工の食堂や会議場として使われたそうです。
こちらは製糸場の工員の寄宿舎。もっと沢山あったそうです。
奥の方の「西置繭所」は修復作業中でしたが、作業現場を見学することが出来ました。
外壁の感じがなんか変だなと感じたのですが、近づいてみると建物を覆ったカバーに外壁のプリントがしてあったのです。景観を損なわないように配慮したのでしょう。
一応は工事現場を歩くので、ヘルメットを被らねばなりません。その関係でここは別料金(200円)がかかります。
残念ながら中の修復現場は写真撮影禁止でした。
他にも目を惹くものは沢山ありました。
巨大の貯水タンクや、
日本庭園風の休憩所(公園?)
巨大なこの椅子やテーブルは桑の木で作られています。
こちらは製糸場の隣にある社宅。幹部社員用だそうです。明治時代の家で“ザ・日本家屋”という趣ですが、西洋建築の様式も一部取り入れられているらしいです。
思っていた以上に楽しめました。ガイドさんの説明を聴きながら見学するのも良いものだな、と思いました。
印象に残った解説は、“製糸場をつくったブリュナーは31才と若かったが、日本も若かった。官営製糸場建設を推進した尾高は30才、伊藤博文は29歳という若さだったんです”というもの。若かったので驚きました。
思わぬ形で寄った世界遺産でしたが、良い見学が出来たと思います。