河口湖自動車博物館に展示されている飛行機はどれも飛行不能でがありますが、復元は細部まで拘った仕事をされています。
栄エンジンについてのお話の後、説明員の方は復元の細かい部分について話してくれました。
飛行機の胴体や翼は一見ツルっとした造形ですが、実はたくさんの“蓋”が存在するそうです。内部のメンテナンスのためのものや、弾薬や燃料を補給するためのところの蓋、駐機場や空母の甲板に係留するフックを覆う蓋、等々。
静態展示するならばこれらの蓋が開閉できなくても問題ないはずなのですが、ここではなるべく忠実に復元したいと普段は見えないところまで復元しているそうです。
実際いくつかの蓋を開閉して見せてくれました。翼に設けられている係留用フックなどは思わず「ほぉ~~」を感心してしまいました。
隼の方はフックが翼内部に折り畳んで収納するタイプ、
ゼロ戦はクルマの牽引フックのようなものが翼の中に設けれれていました。
説明員のお話しはさらに広がり、北海道で見つかったゼロ戦の話にも。
戦時中、海軍は飛行機の寒冷地運用の研究を民間(北海道大学)に委託し研究用にゼロ戦32型をとある山頂(”手稲山だったかな?” と仰っていましたがニセコのようです)に設置していたそうです。
終戦時、海軍の指示により機体は山頂から谷に投棄。投棄されたところは原生林のようなところで長らく存在は隠されていましたが、平成になって翼部分が回収され倶知安で展示されているとか。
研究では翼やプロペラへの着氷対策をやっていたそうです。ここでの研究成果なのかは分かりませんが、寒冷地で運用する飛行機にはプロペラに着氷しないようアルコールを流す装置が装備されていたそうです。
展示してあるゼロ戦21型にはプロペラの根元にそのアルコールを流す管が設けられていました。お話しを聞かなければ分からなかったです。
一方、隣に展示されているゼロ戦52型にはありません。こちらは南方で運用されていた機体ということで着氷防止装置は装備されていなかったようだ、とのことです。
こちらに展示されている機体は、もしかして飛行できるのではないか?と思えるような完成度の高さ、張りぼてではない本物感を感じます。
ここは展示するために復元しているのではなく、残骸となった機体をなるべく当時の姿に蘇らせることを目指しているようで、展示は二の次なのかもしれません。もし状況が許すのなら飛行可能な状態にまで復元するのではないでしょうか。
お話を聞いていて復元にかける情熱を感じました。(機械遺産といった言葉を言われていました。)毎年見に来たくなる理由が分かったような気がしました。
(続く)