自分だけのカタナをつくる ~ Bike &DIY ~

GSX1100S刀のプライベートカスタムと気ままな工作と冬はスキーの日記です

今日はジョン・レノンの命日

 毎年、「ああ今年もこの日が来たか」と思う日が幾つかありますが、12月8日もその一つです。

 

 「トラ・トラ・トラ」の真珠湾攻撃の日であり、ジョン・レノンが死んだ日であります。

 

 正直言って、あの事件のとき、ジョン・レノンてよく知りませんでした。ビートルズは知ってましたけどね。

 でも、普段音楽や芸能関係の話題などしない両親が「ジョン・レノン死んじゃったんだってね....」と話しているのを聞いて、この両親が話題にするなんて凄い人なんだ、と思ったものでした。

 

 当時の私にとって40歳というのはかなりの年齢というイメージでしたが、いつの間にかとっくにジョンの享年を超えてしまい、今はなんという早死にだったのか、という思いです。

 

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 ジョン・レノンの曲といえば解散後の曲が印象に強かったです。「イマジン」、「スターティング オーバー」、「ウーマン」、それにこの時期は「ハッピークリスマス(War is Over)」とか。

 

 でもこのところはビートルズ時代の曲も良いな、と強く思うようになってきました。

 「イン マイ ライフ」や「ストロベリー フィールズ フォー エバー」といった中~後期の名曲に加え、「ベイビー イッツ ユー」*1や「イット ウォント ビー ロング」、「涙の乗車券」といった初期の曲もすごく良いなぁと思うようになってきました。ホント良い曲がゴロゴロあります。

 今までは漫然と聴いていたのですが、リマスターされたCDで聴くとすごく新鮮に聴こえます。

 ビートルズの初期から中期はポール・マッカートニーではなくジョン・レノンが引っ張っていたんだな、凄い才能だったんだな、と改めて思います。

 

 もしジョンが生きていたら一度くらいビートルズの再結成があったでしょうか。

 ジョンとポールとジョージとリンゴが揃って演奏し、ジョンとポールがマイクを挟んで一緒に歌うのをリアルタイムで見てみたかったです。

 

 今夜はジョンの曲を聴いてしのぼうと思います。

 

 

 

 

*1:改めてCDジャケット(「Please Please Me」)を見てみたら、これは David-Williams-Bacharach という人のカバーでした。でも若々しいジョンのバラードは絶品です。